明治の開拓期から令和の今日まで、この地とともに刻んできた百三十余年の歴史。
開山・大西琢道師が明治26年3月に真言宗説教所を創設。北海道開拓の時代、多くの移住者が入植するなか、精神的な支えを求める人々の声に応え、この地での仏教布教の礎が築かれました。
明治28年8月、説教所が正式に認可を受けました。公式な仏教施設として地域に根を下ろし、周辺住民の信仰の場となりました。
明治31年3月、壮栄寺としての本堂を新築。同年10月に説教所を廃し、正式な寺院としての寺号公称を出願しました。開創から5年を経て、当寺はより大きな法灯として地域に根付くこととなりました。
明治32年2月、「如意山金剛院壮栄寺」として寺号公称が正式に認可されました。山号「如意山」、院号「金剛院」を冠した現在の寺院名が確定し、真言宗の寺として正式に認められました。
宗祖弘法大師御入定千百年記念事業として、裏山2町歩(約2ヘクタール)に新四国八十八ヶ所を建立。境内を巡ることで四国霊場と同じ功徳を得られる霊場が整備され、遠方からも多くの参拝者が訪れるようになりました。
西国三十三霊場の観音像を洞爺湖畔に建立。最後の第三十三番観音仏を境内に建立し、洞爺湖の景観と一体となった独自の霊場文化が形成されました。湖畔の観音巡りは地域の信仰の象徴となりました。
北海道八十八ヶ所霊場会の設立に際し、第五十五番札所に指定されました。道内各地の霊場を結ぶ約3,000kmの遍路道において、壮栄寺は重要な巡礼地として多くの遍路者を迎えてきました。
現住職・内田隆円師のもと、地域の方々や道内外からの巡礼者の心のよりどころとして、今日も法灯を守り続けています。開基から130年余りを経た今もなお、弘法大師の御教えが息づく場所として、多くの方をお迎えしています。
当寺が創建された明治26年は、北海道の開拓が本格化した時代です。本州各地から多くの移住者が入植し、厳しい自然環境のなかで開拓に励んでいました。
故郷を離れた人々の心の支えとして、また亡くなった開拓民の供養の場として、仏教寺院の存在は不可欠でした。大西琢道師はそのような時代の要請に応え、この地に説教所を開いたのです。
壮瞥町は洞爺湖の南岸に位置し、活火山・有珠山を擁する自然豊かな地域です。噴火の歴史を持つこの地では、自然の畏敬と信仰が深く結びついてきました。
湖畔に建立された西国三十三霊場の観音像は、こうした地域の風土と仏教信仰が融合した象徴的な存在です。壮栄寺はこの地の歴史と自然に深く根ざした寺院です。